2011年03月08日

[M_2011_04]『劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜』

とにかく、TV版のマクロスFが好きな奴は、四の五の言わずに、とりあえず劇場行け。話はそれからだ。
というわけで、劇場版の後半戦であるが、正直、前半戦『イツワリノウタヒメ』の出来が今ひとつだったので、期待値はあまり高くない状態で劇場へ向かうも、開始5分で白旗である。俺が悪かった。
かつて、長島☆自演乙☆雄一郎のK-1デビュー戦の海外中継では、マクロスFのことを「Japanese Highschool Musical」と評していたが、『サヨナラノツバサ』はまさにマクロス楽曲全部入りのミュージカルであり、これは絶対に劇場で聞かないと一生後悔する。
確かに後述するように、賛否両論の否の部分はこのへんにあるだろうな、というのはあるけれども

「キラッ☆」に心を奪われた連中は、絶対に魂が震える。

もう理屈じゃないんだ。
ランカが超かっこいいんだ。
シェリルが超いい女なんだ。
菅野よう子の楽曲が響くんだ。
だから絶対見なきゃダメ。話はそれから。


*『劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜』公式*
http://www.macrossf.com/movie2/


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2011年02月20日

[M_2011_03]『ソーシャル・ネットワーク』

世界で一番add a friendされているはずの男の孤独を、facebookの成長とともに描き出したとかなんとかいうまでもなくアカデミー賞で『英国王のスピーチ』に負けてしまったが充分評価された名作。
内容それ自体についてはもはやいうこともないでしょう。シリコンバレー怖いな、とか、ハーバード楽しそうだなとか、スピード感のある詩的なセリフは実際のハーバード生喋ってないんでしょ?Lessigが言ってたよ、とかそのくらいの感想はさておき。

その後、友人Rのツイートを見て、オーソン・ウェルズ『市民ケーン』を見る。驚く。構造が『ソーシャル・ネットワーク』と同じ。
『市民ケーン』の主人公ケーンは当時の大メディアたる新聞王。ケーンは順調に政財界の中で地盤を固めていくが、妻との関係で常に失敗する。戦友ともいえる友人から裏切られ、最終的には例の「ザナドゥ」で「バラのつぼみ」を残して死んでいく。
『市民ケーン』における新聞というメディアを、facebookというソーシャルメディアに置き換え行われた、戦前と戦後における企業トップの孤独の比較。そして、人間性の変化の照射。『ソーシャル・ネットワーク』の狙いはここにあったのか!

そうすると、『ソーシャル・ネットワーク』において必ずしも必要でないはずの、ザッカーバーグの元カノが冒頭とエンディングを飾るのも頷ける。多分、映画の中の「ザッカーバーグ」はこの後、女性関係で失敗して、ザナドゥでバラのつぼみを残して死ぬんだろう。
何も変わっちゃいないんだ。
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2011年02月01日

[M_2011_02]『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』

先に行っておくと、僕は『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の原作本が大好きです。
嘘だけど。

マジで嫌いなんですよ、あのやりとりとセリフ回しが。
昔、メディアマーカーに書いた書評(http://mediamarker.net/u/kouiki/?asin=4840238790)を読み返して、「あぁ、敵を作らないように最大限配慮してるな、俺」と思うくらいですもの。

しかし、映像化されるにあたって、これの壊れた作品がどうなるかが非常に楽しみだったので、ランチに寿司を食って映画館へ。

やはりあのセリフ回しと、うそくさいCG演出でココロが折れた。しかし。
それはみーくんとまーちゃんのやりとりの場面だけの話。すなわち、原作に大部分依存せざるをえない場面である。
それ以外の、二人の会話がない場面は、大変に素晴らしいのである(例えば、冒頭、みーくんがまーちゃんを尾行するシークエンスや、二人が壊れる前のシーン、鈴木京香と田畑智子が裏で動くシーンなど)。
そうなってくると、あの嘘くささを中和せずそのままにしたのは、意図的にやったのではないか、という気がしてくる。

タイトル通り、二人の世界はぶっ壊れているので、まさにその世界は嘘。
それが、みーくんの一人称で進む原作では、壊れた世界を生きるみーくんの文脈/コードを介して記述されていたため、虚偽性が隠蔽され、嘘くささが単なる気持ち悪いセリフ回しにしかならなかった。
しかし、映像化するということは、みーくんの一人称から、カメラという第三者の視点に切り替えることを余儀なくされる。すなわち、現世のコードに従って撮られる/見られることが前提である。
そうすると、二人の世界は「嘘なのである、壊れたコードで動いているのである」ということを示すために、嘘くさいCG演出や、いかにも下手くそな染谷将太のセリフ回しを温存し、その異常さを、他の世界(原作=一人称の外)との対比の中で示すことが必要であったのではないかと。
そうすることで、実は原作との差異化が図られている。みーくんが「嘘だけど」というのは、先行する記述の信頼度を相対化し、世界の真実を撹乱する機能を果たしていた(先行する戯言シリーズの「戯言だけどね」も同様)。
しかし、瀬田監督のアプローチが上述のものだとすれば、意味はまったく変わってくる。「嘘だけど」というみーくんそれ自体が、現世とは違う壊れた世界に今なおあることが演出上明らかなのであるから、「嘘だけど」そのものが「嘘の世界」に存在することになる。
すなわち、「先行する記述」も、「嘘だけど」も、ともに嘘の世界の出来事であり、現世の真実(カメラに映る物)の真実性はそれによっては揺らがないのだという宣言であり、サブカル周りで一時期流行った真実書き換えもの(その最極北に舞城の『ディスコ探偵水曜日』がある。あれはあれで限界突破だが)へのアンチテーゼであり、「原作を映画化して原作を殺す」作品である。
そしてなにより、原作が隠蔽していたこの作品の無意味さを暴露しているのである。

なるほど、ここまでほぼ自動筆記で書いてきたが、そんな見方もあるかな、くらいには納得した。
*嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん公式*
http://www.usodakedo.net/
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2011年01月23日

[T_2011_01]劇団鹿殺し「僕を愛ちて。〜燃える湿原と音楽〜」

新年早々、ダブルブッキングやなんかを乗り越えて、どうにかたどり着いた、劇団鹿殺しの本多劇場進出公演。
いままで行きたかったが行けなかった劇団であり、気になったらその場でチケットを押さえていた2007年あたりの時点ですら見ていなかったという意味ではかなり稀有な例に入る劇団でもある。
釧路で丹頂鶴とともに、尾崎豊に憧れる兄、つんくに憧れる弟、ジョン・レノンに憧れる父という構図の中、母が殺される。
兄は復讐へ向かい、弟は音楽で世界を取ろうとし、父はニポポを掘る日々に、沼で助けた女性・千鶴子が絡んでいく基本線を、「正月らしい演出」(演出・菜月チョビ談)たる生バンドとフィジカルな表現で彩っていく。
おめでたさで力押しかと思いきや、終盤にかけてド直球でストーリーをまとめ、最終的には無条件の愛を見事に表現してみせた。
これだけ読んだら、何が起こったかわからんだろう。しかしこうとしか書けないのである。

終演後は、文句なしのトリプルカーテンコール。新年早々幸せな気持ちで本多劇場をあとにした。

*僕を愛ちて特設サイト*
http://shika564.com/bokuai/
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2011年01月20日

[M_2011_01]『アンストッパブル』

暴走列車をいかに止めるか、というモチーフはそれこそ死ぬほどやられてきたはずで、本作も実在の事件にインスパイアされているとはいえ、その枠の中にとどまっていることは事実である。
また、いくつものシーンが、映像だけでそのシーンの意味を伝えることに成功はしているが、それは僕ごとき映画素人にも伝わるほどの偉大なるテンプレートだということであり、本作を「普通の映画」と見る向きの方がいることも当然だと思う。
しかし、本作は圧倒的に熱い。
そりゃ、一から十までわかりやすいキャラ造形と、白人の若者/黒人のオッサンの価値観が摺り合うとか、アメリカではマイナーな列車という交通機関の悲哀とか、普通の映画なのだし、主役二人もものすごい演技かと言われると、そこまでは思わないが、列車の圧倒的重量と、二人の演技に身を乗り出して、手を強く握って、軽く汗をかいて見てしまったのは、理屈じゃなくて、巨大な物体が動いてて、気合で止める、みたいな流れが単純に熱いのである。
新年早々、面白いものを見たと思っている、個人的には。
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2010年12月01日

[M_2010_16]『特攻野郎Aチーム』。

TV版を実は見たことがない自分が、映画版をどれほど楽しめるかという問いが全ての劇場版に付いて回るのだけれど、『Aチーム』はさすがにそのハードルが高かった。
そりゃ、有名すぎるほど有名なネタ(「飛行機だけは勘弁な」とか)は知っているものの、おそらくはTV版を知っていた方がここは面白いんだろうな、というポイント(おおむね、ストーリーの流れが一回止まる場面)が多く、そこを拾いきれないのはひとえにこちらの不勉強。
そこを抜きにすると、大規模アクション映画としてかなり面白い部類であるように思えるけれども、あまり絶賛できないのは、その辺のプラスアルファを感じられないことにも一因があるような気がする。
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[M_2010_15]『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』。

今年一番笑った一作は、ロードショーで見逃して、『ローラーガールズ・ダイアリー』に引き続き早稲田松竹のお世話になる。
ちなみに『特攻野郎Aチーム』との二本立てで、どう考えても頭の悪い一日であったことは疑いない。
独身パーティーでラスベガスに行った4人組が、記憶をすっ飛ばして目覚めた朝、室内に虎がいるとかその手のバカエピソード満載で作られた、ひたすらにバカを追求しつつも、いなくなった花婿を必至に探していく様は、もしかしたら『スタンド・バイ・ミー』に強烈なリスペクトを放っているのかこれは、とか思ってしまう(いや、絶対違うが)。
そんな難しい話はなしにして、ひたすら笑うだけのサプリメントムービーとしても最上質、カメオも含めた役者陣も超豪華、そして少しいい話。あえての絶賛でシメ。
posted by 広域 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | カンショウすること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月07日

[M_2010_14]『ナイト&デイ』。

平日昼間、時間が作れたので近所のシネコンで『ナイト&デイ』。
しかし、いくら平日昼間だからといって、客が3人ってのは大丈夫か、というか予告編まで俺ひとりだったんだけれど、この地域は大丈夫か。

しかし、とにかくトム・クルーズとキャメロン・ディアスをかっこよく、かわいく、エロく撮るための構成であって、@dis555 に言わせると素晴らしいご都合主義であって、目的が二人を上述のように撮ることが主眼なのだから、徹底的にご都合主義でなければならないという割り切りが大好きである。
あれだよ、もちろん弾丸が当たらないとかってのは、ハリウッドスターのオーラで弾丸が勝手に避けてるのよ。
それにつけても、キャメロン・ディアスがかわいい。いやかわいい。

真面目な話。
タイトルである"Knight & Day"が秀逸すぎる。
もちろんこれは"Night and Day"のもじりであるが、その意味は「寝ても覚めても」である。
本編を貫くもう一つのご都合主義が「気がついたら〇〇にいた」的な空間ワープ(移動シーンに時間を使わない、乗り物映している暇があったら二人を映したい)が眠りのモチーフによって演出されているが、それが下手な映画でやると突っ込みどころなのだけれど、タイトルの力と、上述した明確な狙いが相まって、とても面白いものに仕上がっている。
また、この言い回し、慣用的には"Day and Night"も使われるところである。
つまり、どちらが入れ替わっても構わない、ということであり、これが最後に効いてくる。それも"Knight and Day"として。

かつて私は、金がかかってなくても想像力と技術で他を圧倒する作品を偏愛していた。
しかし今年に入り、金がかけられるものは、やっぱりすごいということを思い知り続けている。
本作もその一つで、ド派手な銃撃戦やら豪華キャストの持つ映像的パワーというのは、有無を言わせない魅力だよな、と再確認した次第。
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2010年10月31日

J2 2010 第32節 東京ヴェルディ戦。

今年はほとんどスタジアムに行けなかったことを反省しながら、このエントリを書いています。
どれくらいご無沙汰だったのか確認するため、自分のブログのトリニータカテゴリを開いてみました。
「J2 2010 第1節 柏レイソル戦」というエントリしかありませんでした。
ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
来年はもっと頑張ります。


味スタにヴェルディの試合で来るのは3回目。
1回は、トリニータとヴェルディで、柱谷監督がテクニカルエリアを出るどころの騒ぎではない飛び出し方をしたときで、これはトリニータの勝ち。
もう1回は、ストイコビッチの引退試合で、これはほとんど名古屋のホーム。ちなみに当然名古屋の勝ち。

そして3回目も、安定感のある試合運びで勝ちました!
チームも3連勝、俺も3連勝です。
あれだ、ヴェルディキラーと呼んでくれ。

シャムスカ・マジックのときも、横浜で3連勝の雄叫びをあげたことを覚えていますが、今回の3連勝も同じくらい格別ですね。
スタジアムはいいなぁ。

なぜ年寄りのようなことを書いているのか、戦術とかなんとか、いつもみたいに頭でっかちなことは言わんのかとお思いの読者諸氏。

「そんな話するような試合ではないのです。」
posted by 広域 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | トリニータのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

[M_2010_13]『ローラーガールズ・ダイアリー』。

頑張らないという生き方がある。
その生き方に一定の共感を禁じ得無いが、同時に一つの目標に向かって突き進んでいる人の神々しさというか、力強さに強いあこがれを持つのも事実である。

映画は映像が動いていることがすごいということにこの歳になって気づく。
映り込んでしまうもの、すげぇの撮れちゃったという感覚がやっとわかってきた。

早稲田松竹という名画座で、やっと見ることができた『ローラーガールズ・ダイアリー』はその二つを同時に思い出させてくれたわけで、やはり疲れていても映画は見るべきだと強く思う。

エレン・ペイジの表情を見ているだけで大満足であり、頑張っている女の子というのはそれだけで尊い。
そういえば、私の持論として、全力疾走の女の子はかわいい、というのがあるのだが、それも同根だろう。
ローラーゲームに出会ったあとのエレン・ペイジは、地味なメイクと衣装ではあるが、とても輝いている。
そして、一度その顔から輝きが消えたあとで、再度戻ってくる輝きの美しさには、いい大人ながら泣かざるを得なかった。
子供であることでぶつかる壁から救いだしてくれる「先輩」たちの存在の尊さと相まって、雨の高田馬場で泣くという良い体験をすることが出来た。良作。
posted by 広域 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | カンショウすること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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