2010年07月23日

[M_2010_11]『私の優しくない先輩』。

マンガとアニメのキャラクターでは、いくつか描けないことがあると言われている。
例えば死。例えば性。
と、この書き出しを使うと、大抵、手塚治虫の作品論につながるのだが、もう一つ描けないものがある。
それが匂い/臭い。

マンガ/アニメ/映画では、視覚聴覚は描ける。触覚と味覚は描けない。
しかし、アニメで描けず、映画で描けるのが臭いである。
嘘だと思うなら、アニメ作品ごとにその臭気を列挙してみるべし。

さて、『私の優しくない先輩』は、ひとえに、川島海荷が汗と涙に物理的な意味でまみれ、その臭いを表現するための作品である。

と、大層な書き出しで初めてみたが、この作品ですごいところは、川島海荷という水の象徴のような名前の女優を、汗と涙でドロドロに汚し、臭わせ、なおかつそれを綺麗だと思わせた点だ。そして、その一点に尽きる。
アニメーション監督である山本寛が実写を撮らなければならなかった理由はそれしか考えられない。ぐっしゃぐしゃのヒロインが、夏のドロッとした汗にまみれて臭気を発し、なおかつ美しいという一点。
そして、その一点において、この作品は成功している。顔をぐしゃぐしゃにした川島海荷の美しさは凄まじくて泣ける。

その美しさを見た後で、ラストショットに登場する普通の「川島海荷」は、一層衝撃的。
はっきりいって普通の取り方、普通の川島海荷のはずが、一瞬で鳥肌に転じた。あれはなんだったんだろう、いまなおよくわからない。

とりあえずたくさんの人に見てもらいたい。7割くらいの人には、広域は変態だと思っていただけて、残りの方のうち半分くらいには共感していただけるだろうて。

ちなみに、エンディングのMK5も相当すごい。あそこだけiPadに入れて持ち歩きたいくらい。

*私の優しくない先輩公式サイト*
http://www.senpai.info/
posted by 広域 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | カンショウすること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月10日

ドラゴンクエストとGeneralist。

最近、昼寝の時間やらを利用して、「文化系トークラジオLife」のPodcastを聞くことにしている(昔、割と普通の時間にやってたときはライブで聞けてたのだが、日曜の深い時間から明け方までだとやはりしんどい)。
6月分のテーマは「理想のリーダー、リーダーの理想」であり、その中で「リーダーにスーパーマンを求める向きが日本にはあるが、リーダーはマネージャーであり、その機能を担う者である」という認識が出てきた。
すなわち、リーダーを「なんでもできる人」というGeneralistとして理解するのではなく、「調整と責任を取る仕事をする人」というSpecialistと理解することである(外伝ではその点の対比にも触れていた)。

さて、ここで書き散らすのは、Generalistとはなんであるか、という話である。
Lifeの中で言われていたのは「Generalistとは、複数のSpecialityを持つ者」ではない、ということであった。
日本型企業(といっても、私は普通の企業で働いた経験がないので)では、「複数の部署を転々として、一通り社内のすべての仕事がこなせること」を持って「Generalistになった」と考えるようだ。
しかし、それでは、一つ一つのSpecialityを行くところまで極めた人(例えば、専門職の頂点としての最高裁長官など)と比べて、Generalistが(その分野に関する)能力で敵うわけがない。
にもかかわらず、Generalistに対する信仰は根強いように感じている。

別の話をすると、「学際」という言葉。
「学際interdisciplinary」とは「分野を超えて」という意味だが、そこで「複数の分野をかじっただけ」の人間が生産された場合、最高裁長官に比してその人が持つSpecialityはなんなのか、という話になってくる。

Generalistであること、interdisciplinaryであることとは何か。

補助線として導入したいのが、(変なことであることは認識しつつも)「ドラゴンクエスト」(以下、ドラクエ)である。
ドラクエのモデルを決定づけたのはドラクエ3だと思っているが、ドラクエ3の特徴は、「勇者」という「何でも出来るけど、どれも中途半端」な人間が主人公に選ばれていることだ。
ドラクエ3のシステムを簡単に述べると、プレイヤーはまず、勇者オルテガの息子としての「勇者」としてゲーム内に入る。そして、勇者を操作して、「ルイーダの酒場」に行き、様々な職業(ただし、勇者以外)の仲間とともに旅に出る。
例えば、物理的戦闘能力に優れた「戦士」、回復呪文の使える「僧侶」、攻撃呪文の「魔法使い」、スピードに優れた「武闘家」といった具体である。
勇者のパラメータは、例えば「ちから」であれば、戦士より低く、魔法使いよりは高い程度に設定されている。
つまり、一つ一つのパラメータにおいては、「全ての仲間に負けている」。
それでもなお、ドラクエシリーズにおいてはこのような勇者が主人公に据えられ続けている。
ではなぜ、すべての仲間を超えた最強の主人公ではなく、このような中途半端なキャラが「勇者」であり主人公でありうるのか(設定上はありえないわけではない。さしあたり、ドラゴンボールの孫悟空を参照。周知の通り、キャラクターデザインはどちらも鳥山明である)。

ドラクエシリーズの特徴は、ドラクエ4を例外として、プレイヤー=勇者が仲間にコマンド=指示を出す点にある。
例えば、戦士が「ちからため」をしている間に、魔法使いは「バイキルト」(攻撃強化)をかけ、僧侶は「スクルト」(防御強化)をする。
次のターンは、戦士が攻撃、魔法使いがイオナズン、僧侶がベホイミをかける。
このように、戦略を立て、それぞれのSpecialityが最大限活用されるように調整するのが勇者の役割である。
そこでは、自分自身が「ちからため」「バイキルト」を使うことは必要とされない。
ただ、仲間の武器を知り、それを組み合わせる能力が必要となる。
そのためには、戦士が「ちからため」ができる、ということを知っているだけでは十分ではない(ここで十分だとするのが、部署持ち回り型Generalistである)。
「ちからため」を使ったターンは攻撃が出来ないという特徴と、バイキルトの効果は次のターンであるという特徴をつなぐことのできる能力が必要である。
すなわち、勇者のパラメータを補うのが、このリンケージ能力なのである。

Generalistに必要とされるのは、複数のSpecialistの能力をつなぐことである。
それは決して、複数の部署・分野を知っているだけでは十分ではない。
リンケージ能力というSpecialityを持っているということを意味する(Specialistは専門の中で全力を出すものであるから、リンケージを考えることは少ない)。

翻って、「学際」問題。
学際ということが、単に「一つのグループに複数のSpecialistがいる」「一つの大学で複数のSpecialityが学べる」ということであっては、中途半端なSpecialistができるだけである。
GeneralistのSpecialityがリンケージ能力にあるのであれば、学際教育を受けた者のSpecialityも同じ所にあると考えることには一定の合理性がある。
したがって、本当の学際教育は、リンケージ能力を涵養する教育ということになる。

しかし、残念ながら、リンケージ能力を意識的に開発している人も少なければ、当然それを教育する機関も少ない。
ただ、Specialistが複数人並立していても、船頭多くして船山のぼるそのものである。
そこで、今後のGeneralistにあっては、リンケージ能力を(現状では自ら)開発するしかない。
それはGeneralistというSpecialistになるということであり、いろんなことができますよ、ではない。
そのようなGeneralistが同時にリーダーとしての器になるのだろう。

というわけで、本エントリの結論は、経済がわかっていないとか、漢字が読めないとか、庶民感覚がわからないとか、そんなことでリーダーをdisるのはやめましょう、であって、それだとだれだって何かしらのnon-specialityを有するので、リーダーである以上絶対にdisられることになる。引いては「この人は何でも完璧すぎる(欠陥がないという欠陥がある。『めだかボックス』より)」ということで辞任させられるリーダーが出てきてしまうことになって、それだともう誰もやらんぞ、と思った参院選前日なのであった。
みなさん、選挙に行きましょう。
posted by 広域 at 20:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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