2008年10月21日

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』。

なんだか、早稲田文学のシンポジウムに参加して

宇野常寛を見てきた後にこういうエントリを書くと幇間みたいですが

ちょうど読み終わったタイミングがこうなんだから仕方ないっすね。


著者は、PLANETSという批評同人誌の編集者でありつつ

東浩紀以降ようやく出てきた若い世代の批評家という人です。

本書は、東浩紀の「動物化」論、「データベース消費」論に対する

次の二点の批判から出発します。

1 東の議論の射程は、オタク系文化(要はラノベとエロゲ)に偏っているが、対象をそこに限る必要はない上、オタク系文化を最先端とすることでオタクたちに一種の免罪符を与えている。

2 東が最先端と評価する想像力=セカイ系の想像力は、一種の引きこもり主義だが、端的に「それでは生きていけない」という認識が広がりつつある。ゼロ年代のクリエイターたちはすでにそこを通過・突破している。

そして、著者が提示する「ゼロ年代の想像力」とは

引きこもりでは生きていけない/しかし、絶対的な価値が見いだせない

という中で、「絶対的な価値ではないと知りつつあえて」

ある価値を選択して生きていく想像力=サヴァイヴ系の想像力であり

その軸を武器に、小説、映画、ドラマ、アニメを

快刀乱麻を断つがごとく分析していくわけで読んでいて面白いです。

本書をかなり酷評する向きもあるようですが

売り物として充分なレベルではありますし

読みながら、自分の中に新しい軸ができた感じがあるので

それは著者としては成功の部類なんだと思います。


ただ、いくつか気になるところはあって

特に気になるのが、最終的な結論で

生き方の問題を、人的なコミュニケーションに回収した点です。

しかし、例えば、秋葉原殺傷事件の彼なんかは限界事例ですが

日常におけるコミュニケーションがほとんど成立していなかったわけで

しかも、コミュニケーションに参戦するためには

おそらく相当の苦痛を伴うという人々に対して

「何かやらなきゃ死ぬぞ」→「他人と会話しろ」というのは

メッセージとして強すぎるというか

世の中もっと弱い人ばかりだよなと思うのです。

(別にニート論壇擁護ってわけじゃなくてね)

おそらく著者からは「甘ったれたこと言ってたら死ぬんだから

死ぬくらいならコミュニケーションした方が楽でしょう」と

反論があるでしょうが、そこはそれ「ポストモダン状況」なんで

コミュニケーションの苦痛<死の苦痛という

著者が前提している不等式自体が普遍的には成り立たないでしょうと。

死んだ方がマシって人は何人もいるわけですし。

むしろ、安全地帯を、創作作品の中くらいには残しておいて欲しいなぁ

というのが、趣味的読書人の思いだったりします。

とはいえ、それによって本書の価値が毀損されるわけではないです。

とりあえず、皆様読んでみたらいかがでしょう。


posted by 広域 at 17:28| Comment(2) | TrackBack(1) | 読むこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
サイゾーの連載でPRしてたなあ。
良くも悪くもあずまん以降の
存在が大きくなると面白くなるね。
小説トリッパーをちょっと立ち読み
したけど意外となんとかなるかも。
今度読んでみます。
Posted by CHINOOK at 2008年10月21日 19:40
とりあえず視野に入れている範囲が広いので、読み物として面白いですよ。
あと、電王を素材に、仮面ライダーにおける変身の意味の変容を論じているところは、興味を持たれるかも。
トリッパー買ってなかったので、さっき買ってきました。
Posted by 広域 at 2008年10月21日 22:55
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ゼロ年代の想像力
Excerpt: 図書館で借読。 サイゾーの連載とか広域さんのレビューとかで ちょっと読みたいなと思っていたので 年末年始に一気に読んでしまった。 文章構成としては「同じ事を何度言うんだ!」 と思うくらい結論が..
Weblog: きむけそにっき3!
Tracked: 2009-01-05 06:45
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