2010年07月10日

ドラゴンクエストとGeneralist。

最近、昼寝の時間やらを利用して、「文化系トークラジオLife」のPodcastを聞くことにしている(昔、割と普通の時間にやってたときはライブで聞けてたのだが、日曜の深い時間から明け方までだとやはりしんどい)。
6月分のテーマは「理想のリーダー、リーダーの理想」であり、その中で「リーダーにスーパーマンを求める向きが日本にはあるが、リーダーはマネージャーであり、その機能を担う者である」という認識が出てきた。
すなわち、リーダーを「なんでもできる人」というGeneralistとして理解するのではなく、「調整と責任を取る仕事をする人」というSpecialistと理解することである(外伝ではその点の対比にも触れていた)。

さて、ここで書き散らすのは、Generalistとはなんであるか、という話である。
Lifeの中で言われていたのは「Generalistとは、複数のSpecialityを持つ者」ではない、ということであった。
日本型企業(といっても、私は普通の企業で働いた経験がないので)では、「複数の部署を転々として、一通り社内のすべての仕事がこなせること」を持って「Generalistになった」と考えるようだ。
しかし、それでは、一つ一つのSpecialityを行くところまで極めた人(例えば、専門職の頂点としての最高裁長官など)と比べて、Generalistが(その分野に関する)能力で敵うわけがない。
にもかかわらず、Generalistに対する信仰は根強いように感じている。

別の話をすると、「学際」という言葉。
「学際interdisciplinary」とは「分野を超えて」という意味だが、そこで「複数の分野をかじっただけ」の人間が生産された場合、最高裁長官に比してその人が持つSpecialityはなんなのか、という話になってくる。

Generalistであること、interdisciplinaryであることとは何か。

補助線として導入したいのが、(変なことであることは認識しつつも)「ドラゴンクエスト」(以下、ドラクエ)である。
ドラクエのモデルを決定づけたのはドラクエ3だと思っているが、ドラクエ3の特徴は、「勇者」という「何でも出来るけど、どれも中途半端」な人間が主人公に選ばれていることだ。
ドラクエ3のシステムを簡単に述べると、プレイヤーはまず、勇者オルテガの息子としての「勇者」としてゲーム内に入る。そして、勇者を操作して、「ルイーダの酒場」に行き、様々な職業(ただし、勇者以外)の仲間とともに旅に出る。
例えば、物理的戦闘能力に優れた「戦士」、回復呪文の使える「僧侶」、攻撃呪文の「魔法使い」、スピードに優れた「武闘家」といった具体である。
勇者のパラメータは、例えば「ちから」であれば、戦士より低く、魔法使いよりは高い程度に設定されている。
つまり、一つ一つのパラメータにおいては、「全ての仲間に負けている」。
それでもなお、ドラクエシリーズにおいてはこのような勇者が主人公に据えられ続けている。
ではなぜ、すべての仲間を超えた最強の主人公ではなく、このような中途半端なキャラが「勇者」であり主人公でありうるのか(設定上はありえないわけではない。さしあたり、ドラゴンボールの孫悟空を参照。周知の通り、キャラクターデザインはどちらも鳥山明である)。

ドラクエシリーズの特徴は、ドラクエ4を例外として、プレイヤー=勇者が仲間にコマンド=指示を出す点にある。
例えば、戦士が「ちからため」をしている間に、魔法使いは「バイキルト」(攻撃強化)をかけ、僧侶は「スクルト」(防御強化)をする。
次のターンは、戦士が攻撃、魔法使いがイオナズン、僧侶がベホイミをかける。
このように、戦略を立て、それぞれのSpecialityが最大限活用されるように調整するのが勇者の役割である。
そこでは、自分自身が「ちからため」「バイキルト」を使うことは必要とされない。
ただ、仲間の武器を知り、それを組み合わせる能力が必要となる。
そのためには、戦士が「ちからため」ができる、ということを知っているだけでは十分ではない(ここで十分だとするのが、部署持ち回り型Generalistである)。
「ちからため」を使ったターンは攻撃が出来ないという特徴と、バイキルトの効果は次のターンであるという特徴をつなぐことのできる能力が必要である。
すなわち、勇者のパラメータを補うのが、このリンケージ能力なのである。

Generalistに必要とされるのは、複数のSpecialistの能力をつなぐことである。
それは決して、複数の部署・分野を知っているだけでは十分ではない。
リンケージ能力というSpecialityを持っているということを意味する(Specialistは専門の中で全力を出すものであるから、リンケージを考えることは少ない)。

翻って、「学際」問題。
学際ということが、単に「一つのグループに複数のSpecialistがいる」「一つの大学で複数のSpecialityが学べる」ということであっては、中途半端なSpecialistができるだけである。
GeneralistのSpecialityがリンケージ能力にあるのであれば、学際教育を受けた者のSpecialityも同じ所にあると考えることには一定の合理性がある。
したがって、本当の学際教育は、リンケージ能力を涵養する教育ということになる。

しかし、残念ながら、リンケージ能力を意識的に開発している人も少なければ、当然それを教育する機関も少ない。
ただ、Specialistが複数人並立していても、船頭多くして船山のぼるそのものである。
そこで、今後のGeneralistにあっては、リンケージ能力を(現状では自ら)開発するしかない。
それはGeneralistというSpecialistになるということであり、いろんなことができますよ、ではない。
そのようなGeneralistが同時にリーダーとしての器になるのだろう。

というわけで、本エントリの結論は、経済がわかっていないとか、漢字が読めないとか、庶民感覚がわからないとか、そんなことでリーダーをdisるのはやめましょう、であって、それだとだれだって何かしらのnon-specialityを有するので、リーダーである以上絶対にdisられることになる。引いては「この人は何でも完璧すぎる(欠陥がないという欠陥がある。『めだかボックス』より)」ということで辞任させられるリーダーが出てきてしまうことになって、それだともう誰もやらんぞ、と思った参院選前日なのであった。
みなさん、選挙に行きましょう。
posted by 広域 at 20:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一国民としては、みんながんばれと作戦を出したいです。
AIがドラクエ4並のポンコツでなければよいのですが。
Posted by 子爵 at 2010年07月11日 21:01
少なくとも、「いのちだいじに」を前提で動いていただかないと。
効果のない相手にザラキ連発されたら全滅しますから。
次世代AIがどんなものになるか、楽しみですね。
Posted by 広域 at 2010年07月11日 21:27
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