2011年03月08日

[M_2011_04]『劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜』

とにかく、TV版のマクロスFが好きな奴は、四の五の言わずに、とりあえず劇場行け。話はそれからだ。
というわけで、劇場版の後半戦であるが、正直、前半戦『イツワリノウタヒメ』の出来が今ひとつだったので、期待値はあまり高くない状態で劇場へ向かうも、開始5分で白旗である。俺が悪かった。
かつて、長島☆自演乙☆雄一郎のK-1デビュー戦の海外中継では、マクロスFのことを「Japanese Highschool Musical」と評していたが、『サヨナラノツバサ』はまさにマクロス楽曲全部入りのミュージカルであり、これは絶対に劇場で聞かないと一生後悔する。
確かに後述するように、賛否両論の否の部分はこのへんにあるだろうな、というのはあるけれども

「キラッ☆」に心を奪われた連中は、絶対に魂が震える。

もう理屈じゃないんだ。
ランカが超かっこいいんだ。
シェリルが超いい女なんだ。
菅野よう子の楽曲が響くんだ。
だから絶対見なきゃダメ。話はそれから。


*『劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜』公式*
http://www.macrossf.com/movie2/


さて、久しぶりに追記を使うが、それだけテンションが上がっている。
ここからは見た人用に。

今回のアジ文章は上述の通りで、個人的にはそれで本作はいいと思っているけれども、それは感情論の話で、頭で考えると、多分この作品は嫌いな人も相当数いるだろうし、同時に、絶賛されることを河森監督が望んでいるかというとちょっと疑問がある。

前段から述べると、まず単純に本作は敷居が高い。映像が動きまくるのに目は追っつかないし(実はマクロスってそんなもんなんだけど、今回は相当すごい)、アニメ版を知らない人には省略されている関係性がわからなくて追いきれない部分がある。
ただ、それゆえにこの部分を劇場版後半に持ってきているのであって、見てない奴は見てないことが非難されうる。

もう一つの部分は、プロットレベルで相当無理をしている点。今回はマクロス楽曲全部入りをやることが一つの狙いになっていることは間違いなく、一曲にワンコーラスは充てるとしても、相当尺を食う。
ゆえに、展開がわかりにくい部分がかなりある。
しかし、上述したとおり、本作はマクロス楽曲全部入りでテンションが上がる人向けのサービスパッケージであるから、その辺は「知るかボケ!」と一蹴していいレベルの反論である。
難しいこと考えたければ、同じ劇場でやってた『ヒアアフター』を観に行け。

というわけで、作品レベルでは完全に本作を擁護する。

しかし、本作がそれを狙っているかはともかく、そう思ってしまった点があり、その点を考えると、手放しで絶賛できない部分がある。
ネタバレにはならないと思うが念のため、白地反転をする。以下、「ここまで」の指示が出るまで白地反転。

冒頭からモニターに「鉄腕アトム」の白黒映像が流れ、ガジェットに手塚キャラのヒョウタンツギが出てきたり、確実に浮いた演出がなされている今作。途中も、エヴァンゲリオン劇場版『Air/まごごろを君に』や『ナウシカ』、『逆襲のシャア』を彷彿とさせるシーンが目白押しである(多分気づいてないだけで他にもある)。ここに本作を手放しで評価できない特異点が存在する。
アトムの白黒は、日本アニメの原点に位置する。そこから、日本アニメ映画の潮流を形成してきた名作たちにオマージュが捧げられる(この行為の映画史的位置づけは完全に私の能力を超える)。
もちろん、「パクリだわ、萎えるわw」といいたいわけではない。もしこの読解が正しいなら、完全に狙ってやっているはずだ。
すると、この行為が作品に対して持つ意味は何か。
他の理解もありえようが、私には、「日本アニメのどの要素を持ってこようが、三角関係と歌姫がいればマクロスは成立する」ことを証明しようとしたように思える。かつて富野由悠季が『クロスボーンガンダム』において、「目が二つ付いててアンテナが生えていればマスコミがガンダムにしてしまう」と語らせたことと何かが共鳴する。
これはマクロスの勝利宣言とも読み取れる。これから先、何か新しい作品のトレンドが生まれたとする。マクロスはそこに三角関係と歌姫を投入することで、永遠にマクロスを生み出し続ける、と。これはマクロスのトレードマーク化ともいえるかもしれない。
しかしそれは、マクロスにはストーリーは不要だ、と宣言するに等しい。物語において「マクロス」が占める地位は、プロットとか演出とかではなく、歌姫と三角関係という構造だけだからだ。だから本作にはプロットの破綻が織り込まれている。
この理解の下で、(破綻しているはずの)本作を絶賛するということは、「マクロスというフレームそのものの絶賛」を意味し、本作のストーリーを絶賛しないということを意味する。
その反応を見て、良識的なストーリーテラーであれば、このシリーズで新作を出そうとは二度と思わない。褒められているのは25年も前に打ち立てた構造そのものだからだ。
この構造ではもう新しいことができないのであれば、潔くそれを打ち捨てるべきだ(もっとも、金に困ったらこの構造を使って次の制作費を稼げばいい)。
だから、本作を絶賛することは、自分の感情には素直であるが、マクロスが好きであるがゆえに、そして、絶賛が次のマクロスを産まない可能性を孕むがゆえに、頭がそれを拒否する。


ここまで。取り越し苦労だと思うけれども、可能性がある以上、メモくらいは残しておきたいじゃない?
posted by 広域 at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | カンショウすること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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