2010年08月13日

iPadと本棚の間で。

iPadを購入し、そのスピード感とヌルヌル感にすっかり魅せられて早1ヶ月。
その間、いろんな人に布教すべく、という大義名分のもと見せびらかしまくっていたら、先輩方からだいぶ不評を買っているようでもある。
しかし懲りずにiPadで遊んでいるわけであるが、最近CANONのImageformula DR-150を購入し、そのお遊びにも拍車がかかってきた。
最初は仕事の資料のうち、紙媒体で持っておく必要のないものを電子化し廃棄という程度でとどまっていたが、やはりスキャナを買った以上、やらねばならないものがある。
そう、「自炊」だ。

ここで話は数日前に遡る。
某つぶやき系サービスで、私は大要次のようなことを書いた。

子供が本に関心を持つ最良のきっかけは親父の本棚である。親父の本棚が読書ガイドとして機能するのは、よくわからないがキャッチーな響きのタイトルがずらりと/みっしりと本棚を埋め尽くしているところに、子供が自分の知らない知のストックを感じるからである。加えて、子供がその中から自分で一冊を手に取る。そこに主体的な選択が介在する。その際、本の重み、古びた紙の臭いが、今まで体験したことのない領域に踏み込むのだと感じさせる。


要は、子供にとって読書体験は「親父の本棚から勝手に本を持ち出し、今まで読んでいた本(絵本か教科書)とは違う何かに(物理的に!)触れる」ことを入り口とするということであり、その機能はiPadでは代替できないと考えている、と。

さて、そこではたと立ち止まったのは、自炊すべき書籍の選別基準である。
例えば、一読してもう読み返すことはないようなものについては、優しくブックオフに送り込めばよい。
そうではなく、読み返したいものについて、電子化すべきものとすべきでないものを分かつ基準は何か。
すべて電子化すべき、という人もいれば、再読の可能性のあるものはすべて紙で、という人も(そもそも電子書籍はNGという人も)いるだろう。
当然万人向けの答えはない。
では、ほかならぬ私はどう考えているかというと、さしあたり次のような基準を立てている。

数巻に及ぶ大作のうち、その物質性に意味があるか
→例えば、新城カズマ『15×24』は話題性もあり資料的価値も高いが、それが6冊並んでいることに意味があるとは思われない。平野啓一郎『葬送』は単行本版であれば物質性に意味があったが、4巻組の文庫版ではその意味もあまりない。これらは電子化の候補。
 逆に、舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』や京極堂シリーズなどは、それがレンガ書籍であることの身体性が重要であり、これは電子化しない。

他人に貸したいと思うか
→電子化の最大のデメリットはこれだと思っているのだけれど、物質は「貸し借り」が成立するが、データではできない(てか、やるべきではない)。そのようなものは紙で残す。

子供に読ませたいか
→本題。将来生まれてくるであろうわが子に、読書って面白いんだと思ってもらいたい。そして、これまで考えてきて感じたのが上述の「親父の本棚」論であるとすれば、ある意味答えは一つかもしれない。子供が読めるものではなくて、読ませたいもの。ある種、読書体験の入り口でアーキテクチャ的に縛ってしまうことにはなるが、読書するための引き金になりそうなものは紙で残す。

だいたい今のところその基準で考えているが、それでも残る問題があり、それが「電子化対象かどうかは読んでみるまでは決まらない」という問題。
電子書籍の最大のメリットが様々な本を数百冊単位で持ち運べるところにあるとしても、とりあえず紙で読むことを前提に組まれた上述のプログラムは、妙なジレンマを抱え込んでしまう。
そりゃ、いきなり電子化すりゃいいんだけど、売れてるだけの糞みたいな本を引いちゃったりした日にゃ、データでもいらねぇというか、せめてブックオフでダメージ中和せにゃ気がすまんということもあるのが人情なんだよねぇ。

ちなみに、上述の基準からはジャンル的に絶対電子化の対象になるものってのがあってね、それがなんなのかはまぁご推測のとおりです。
posted by 広域 at 00:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月10日

ドラゴンクエストとGeneralist。

最近、昼寝の時間やらを利用して、「文化系トークラジオLife」のPodcastを聞くことにしている(昔、割と普通の時間にやってたときはライブで聞けてたのだが、日曜の深い時間から明け方までだとやはりしんどい)。
6月分のテーマは「理想のリーダー、リーダーの理想」であり、その中で「リーダーにスーパーマンを求める向きが日本にはあるが、リーダーはマネージャーであり、その機能を担う者である」という認識が出てきた。
すなわち、リーダーを「なんでもできる人」というGeneralistとして理解するのではなく、「調整と責任を取る仕事をする人」というSpecialistと理解することである(外伝ではその点の対比にも触れていた)。

さて、ここで書き散らすのは、Generalistとはなんであるか、という話である。
Lifeの中で言われていたのは「Generalistとは、複数のSpecialityを持つ者」ではない、ということであった。
日本型企業(といっても、私は普通の企業で働いた経験がないので)では、「複数の部署を転々として、一通り社内のすべての仕事がこなせること」を持って「Generalistになった」と考えるようだ。
しかし、それでは、一つ一つのSpecialityを行くところまで極めた人(例えば、専門職の頂点としての最高裁長官など)と比べて、Generalistが(その分野に関する)能力で敵うわけがない。
にもかかわらず、Generalistに対する信仰は根強いように感じている。

別の話をすると、「学際」という言葉。
「学際interdisciplinary」とは「分野を超えて」という意味だが、そこで「複数の分野をかじっただけ」の人間が生産された場合、最高裁長官に比してその人が持つSpecialityはなんなのか、という話になってくる。

Generalistであること、interdisciplinaryであることとは何か。

補助線として導入したいのが、(変なことであることは認識しつつも)「ドラゴンクエスト」(以下、ドラクエ)である。
ドラクエのモデルを決定づけたのはドラクエ3だと思っているが、ドラクエ3の特徴は、「勇者」という「何でも出来るけど、どれも中途半端」な人間が主人公に選ばれていることだ。
ドラクエ3のシステムを簡単に述べると、プレイヤーはまず、勇者オルテガの息子としての「勇者」としてゲーム内に入る。そして、勇者を操作して、「ルイーダの酒場」に行き、様々な職業(ただし、勇者以外)の仲間とともに旅に出る。
例えば、物理的戦闘能力に優れた「戦士」、回復呪文の使える「僧侶」、攻撃呪文の「魔法使い」、スピードに優れた「武闘家」といった具体である。
勇者のパラメータは、例えば「ちから」であれば、戦士より低く、魔法使いよりは高い程度に設定されている。
つまり、一つ一つのパラメータにおいては、「全ての仲間に負けている」。
それでもなお、ドラクエシリーズにおいてはこのような勇者が主人公に据えられ続けている。
ではなぜ、すべての仲間を超えた最強の主人公ではなく、このような中途半端なキャラが「勇者」であり主人公でありうるのか(設定上はありえないわけではない。さしあたり、ドラゴンボールの孫悟空を参照。周知の通り、キャラクターデザインはどちらも鳥山明である)。

ドラクエシリーズの特徴は、ドラクエ4を例外として、プレイヤー=勇者が仲間にコマンド=指示を出す点にある。
例えば、戦士が「ちからため」をしている間に、魔法使いは「バイキルト」(攻撃強化)をかけ、僧侶は「スクルト」(防御強化)をする。
次のターンは、戦士が攻撃、魔法使いがイオナズン、僧侶がベホイミをかける。
このように、戦略を立て、それぞれのSpecialityが最大限活用されるように調整するのが勇者の役割である。
そこでは、自分自身が「ちからため」「バイキルト」を使うことは必要とされない。
ただ、仲間の武器を知り、それを組み合わせる能力が必要となる。
そのためには、戦士が「ちからため」ができる、ということを知っているだけでは十分ではない(ここで十分だとするのが、部署持ち回り型Generalistである)。
「ちからため」を使ったターンは攻撃が出来ないという特徴と、バイキルトの効果は次のターンであるという特徴をつなぐことのできる能力が必要である。
すなわち、勇者のパラメータを補うのが、このリンケージ能力なのである。

Generalistに必要とされるのは、複数のSpecialistの能力をつなぐことである。
それは決して、複数の部署・分野を知っているだけでは十分ではない。
リンケージ能力というSpecialityを持っているということを意味する(Specialistは専門の中で全力を出すものであるから、リンケージを考えることは少ない)。

翻って、「学際」問題。
学際ということが、単に「一つのグループに複数のSpecialistがいる」「一つの大学で複数のSpecialityが学べる」ということであっては、中途半端なSpecialistができるだけである。
GeneralistのSpecialityがリンケージ能力にあるのであれば、学際教育を受けた者のSpecialityも同じ所にあると考えることには一定の合理性がある。
したがって、本当の学際教育は、リンケージ能力を涵養する教育ということになる。

しかし、残念ながら、リンケージ能力を意識的に開発している人も少なければ、当然それを教育する機関も少ない。
ただ、Specialistが複数人並立していても、船頭多くして船山のぼるそのものである。
そこで、今後のGeneralistにあっては、リンケージ能力を(現状では自ら)開発するしかない。
それはGeneralistというSpecialistになるということであり、いろんなことができますよ、ではない。
そのようなGeneralistが同時にリーダーとしての器になるのだろう。

というわけで、本エントリの結論は、経済がわかっていないとか、漢字が読めないとか、庶民感覚がわからないとか、そんなことでリーダーをdisるのはやめましょう、であって、それだとだれだって何かしらのnon-specialityを有するので、リーダーである以上絶対にdisられることになる。引いては「この人は何でも完璧すぎる(欠陥がないという欠陥がある。『めだかボックス』より)」ということで辞任させられるリーダーが出てきてしまうことになって、それだともう誰もやらんぞ、と思った参院選前日なのであった。
みなさん、選挙に行きましょう。
posted by 広域 at 20:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

アメリカ人と放物線。

サッカーワールドカップが日々盛り上がる中、アメリカではNBAのファイナルが行われた。
今年はレイカーズが7戦目を逆転で勝利し、チャンピオンになったわけだが、その速報映像に映し出された3ポイントシュートが非常に美しかったので印象に残っている。
選手の(NBAをチェックしなくなって長いので抽象的な表現だがご海容を乞いたい)手を離れたボールが、美しい放物線を描いて、リングに吸い込まれていく。
放物線の頂点で一瞬、コート上の運動が停止し、観客も息を飲む間が発生し、それが重力に導かれ、音を立ててリングを通過した際に歓声が爆発する。
そんな光景を見て、そういえば最近似たようなことを感じたなと記憶を呼び起こしてみると、それはベースボールの試合、それもホームランのシーンだったことに思い至った。

アメリカの4大メジャースポーツといえば、ベースボール、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーだが、前3者は、いずれもボールが放物線を描くイメージによって彩られている。
ヨーロッパでは、これらのスポーツが必ずしもメジャースポーツではないという事実に照らし合わせると、アメリカ人がこれほど「放物線」型球技を愛していることは、一種の民族誌的奇習といってよいだろう。

では、なぜ彼らは、これほど放物線のイメージを愛するのか。
ここで、「ミサイルのメタファーだ!やはりヤンキーどもは戦争が好きなんだ!」ということはたやすい。しかし、次の歴史的事実がその解釈を妨げる。
すなわち、MLBの発足が1903年、NFLが1920年、NBAが1946年であるのに対して、アメリカで最初のミサイルが開発されたのが1955年であるという事実がこれである。
ミサイルよりも、これらのスポーツが組織化された時期の方が早いのである。
仮にアメリカ人が、放物線のイメージにミサイルを重ね合わせ、それがゆえにミサイルをも愛すると仮定しても、それは「放物線を愛するという民族誌的奇習の一つの現われ」ととらえるしかない。

改めて問う。アメリカ人はなぜ、これほど放物線に魅せられるのか。
まず、放物線の形状からアプローチすることができる。
放物線とは、「地表(つまり重力下)で投射した物体の運動(放物運動)が描く軌跡」を意味する。
その形状はなだらかな傾斜と頂点を持ち、左右が概ね対象になる点に特徴がある。
フロイトならば、これをファルスととらえることになるだろう。
なるほど、アメリカにおいてサッカーがいまなおメジャースポーツとしての地位を獲得出来ないのは、サッカーのゴールネットが子宮、ボールが精子を意味する「着床のゲーム」であり、男性性の象徴たるファルスのイメージがそこに介在しないからだととらえることは一つの説明ではある。
(それは同時に、アメリカ女子サッカーの強さを裏付けるかもしれない)
しかし、放物線がファルスだ、とも断定し切れない。放物線の有する丸みは同時に女性性を表現する(例えば乳房)とも解釈可能だからだ。
(また、放物線=ファルスととらえると、「やっぱりアメリカ人どもはマッチョだぜ!」というステレオタイプに回収されてしまう嫌いがある)

では、アメリカ人の放物線愛はどこからやってきたのか。
もう一度放物線の定義を確認すると、そこには、「地表(つまり重力下)から【重力に抗って】射出される」という特徴が看取される。
それは同時に、「いずれは【重力に従って】出発点とは異なる地点に着陸する」ことを含意する。
この特徴とアメリカを対比するとき、想起されるのは、ピルグリム・ファーザーズの物語である。
弾圧から逃れた巡礼の始祖たちは、おそらくは神の法則によって、アメリカという理想郷に到達した(少なくとも、そう考えられている)。
これを放物線と照合すると、弾圧という重力から解き放たれ(地表からの射出)、それが神の力によって約束の場所にたどり着く(重力に従った出発点とは異なる地点への着陸)という形で符合する。

ホームランにアメリカ人が熱狂するのも同じ理路だと考えられる。
すなわち、「フィールド=戦場」から、「スタンド=安全地帯」に「ボール=始祖」が到着するから、「得点」に結びつく。
バスケットボールの得点も、ネットが「safety net」のイメージと結びつくことで、同種のロジックに結びつけられようし、アメリカンフットボールにおいて、混戦地帯を抜けたパスに熱狂するのも、同じところであろう。

これがこのエントリの結論である。
すなわち、アメリカ人は、放物線に、アメリカ建国の物語を重ねあわせている。
しかし、この結論は、当たり前といえば当たり前である。
内田樹がすでに指摘しているように、アメリカ人はその建国の物語に立ち返ることでアイデンティティを確認する。
その繰り返し作業の中で、アイデンティティ強化に資するものが選択的に生き残るであろうし、それがスポーツの領域では、放物線型球技に結びついていた、ということであろう。

この解釈では、メジャースポーツの4つ目であるアイスホッケーの説明が困難である。
直線型スポーツの代表格である氷上の格闘技が放物線型である3つと同じロジックに回収できるものなのか、それとも独自の背景があるのかは、誰かの分析をまたざるを得ない。

というわけで、久しぶりに超長文を書き散らしたわけである。
なお、当然私はこの分野については素人であるので、事実関係の誤りなどあっても、優しくスルーしていただけると助かる次第である。
posted by 広域 at 00:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

ラジオデジタルライブラリ→ラジブラリの検索結果0件。

久しぶりにカセットテープを購入した。

インターネットラジオについてはともかく

AMラジオをよく聞く上に、伊集院のようないわゆる深夜ラジオが中心で

録音、というのは中学生時代から慣れ親しんだ方法である。

ただし、この方法は、もちろんのことながら非常にアナログ。

そもそも、電波状態の悪い地域だとノイズが避けられないし

120分テープであれば、途中必ずブランクが入ってしまう。

したがって、自分でデジタル保存しようとしても

納得のいく音質にはならない。



TSUTAYA大繁盛の昨今、テレビ番組であればそちらに行けば

大抵のものを見ることができる。

しかし、ラジオについてはそのようなインフラが整備されていない。

セイヤングもANNもジャンクも、文化放送に乱立したアニラジも

今となっては聞くことができないのである。

強いて挙げれば、ニコニコ動画がそのような民間システムとして

機能しているが、当然そこに「うp」されているラジオは

違法アップロードであって、通報されれば削除されてしまうし

著作権法改正により、これらを保存することは出来ない。

ラジオは「ながら聞き」にこそ最大の特徴があるにもかかわらず

PCを立ち上げていなければ、これを聞くことができないというのは

ラジオの自己矛盾である。

ライブラリとしての不安定性にも問題がある。



ラジオのデジタルライブラリ。それも、安定的な。

そのようなものがあれば、多くのラジオファンは狂喜乱舞するだろう。

古い伝説の番組から聞き逃した最新回まで

無料とは言わないが、安価で配信され、できれば保存のできるサービス。

それがなぜ、放送局において出来ないのかを考えると

単純にビジネスとして成り立たないからであろう。

ラジオ局の収入はその大部分をコマーシャルに負っている。

しかし、ラジオライブラリを作ったところで

そこで得られる広告収入は、サイトに掲示できる範囲に限られる。

過去の番組のCMを逐一新しいものに差し替えるというのも考えられるが

そのコストに見合うだけのリターンがあるかといわれると疑問がある。

また、例えば、番組配信を有料制にしたとしても

ユーザーの立場からはせいぜい出せるのは1回につき100円位が関の山。

しかも、どれだけのユーザーがそれを欲しがるのかという点で

なお不透明でもある。

その範囲の読めないユーザーに対して

すべてのマスターテープをデジタル変換し

課金システムを定め、サイトを開設するという

これだけの作業をするかといわれると、インセンティブはない。

したがって、各放送局においてこのようなシステムを組むことは

本質的に困難であると考えられる。



では、ラジオのデジタルライブラリ計画は夢で終わるのか。

テレビ番組も新聞もネット上のコンテンツも音楽作品も

行くところに行けば、だいたいアクセスできるのに

テレビの登場まで、日本の娯楽を支えたラジオに

アクセスできないという現実は動かせないのか。



ひとつの方法がある。

前述したニコニコ動画に、各放送局がお墨付きを与えるのである。

ニコニコ動画は、ファンが勝手にラジオをアップしたことによって

一時期は本当にラジオライブラリの様相を呈していたが

違反通報によりその多くが失われた。

もちろん、違法アップロードは根絶されるべきだが

あのラジオライブラリを見た時の一ラジオファンとしての興奮は

確かに存在した。

ここでは何が問題だったかというと、「アップロードが違法だった」

という一点に尽きる。

そこで、まず、各放送局がニコニコ動画(Youtubeでないのは

例のファイルサイズ制限のせいだ)にチャンネルを開設する。

本放送後、放送した番組を当該チャンネルにアップする。

それにより、システム稼働以後の番組については

ライブラリが継続的に作成される。

加えて、市井のラジオマニアがカセットなどから作成した

番組データのアップロードを利用する。

しかし、これはこのままでは違法アップである。

事前に、すべてのアップロード者に許可を与えることもできない。

そこで、アップしてきた動画をチェックし、問題がなければ

これに一定のお墨付きを与えることで

オフィシャルコンテンツに組み込むのだ。

(その構成は、動画の買取になるだろう。

その値段は、本来であれば存在するはずの

放送局側の損害賠償請求権と動画の買取にかかる債権との相殺

により算出されるはずだ)

それにより

デジタル化→アップロードといったところまではラジオマニアが

その品質チェックは放送局が

インフラとその後の管理はニコニコ動画が

それぞれ担当するとすれば、放送局側の負担も最小で済む。

保存についても、利用規約なり、ユーザー側からのデータ購入で

なんとか対応して欲しいところである。


あとは、それこそ国の予算でやって欲しいところだが

まぁ間違いなく仕分けされるだろう。メディア芸術センターみたいに。



付言すれば、一番いいのは

各放送局のマスターテープ(音質は最高)を使って

各放送局においてライブラリを作成してくれることであって

ここで述べたことは、次善の策に過ぎない。

ラジオ関係者のご英断を待ちたいところである。

(やってみたらまったく機能せず、愚断とならない保証もないが)
posted by 広域 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

嬉し恥ずかしながら帰って参りました。

あ、2010年になってる!というわけでお久しぶりです。

先程、東京に戻ってまいりまして、自宅にて荷を解き

郵便物を片付け、Macをネットワークに接続して

ようやく一息ついたところです。


2010年になっての初ブログなわけですが

本当に何もしていなかった1週間でありました。

ひたすらだらだらと本を読み、散歩に出て

家事をやって、酒を飲んで寝る日々。

人間的なのか、非人間的なのかよくわからないのですが

休養になったことは間違いのないところです。

今年度もあと3ヶ月を切ったので

新年度に向けた知的・肉体的体力づくりに励む所存です。
posted by 広域 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

さらばゼロ年代。

2009年も残りあとわずか。本年も大変お世話になりました。

例によりまして、今年も紅白と格闘技の二元観戦を肴に

日付が変わるまで酒を飲む予定なので

この時刻をもって、本年の更新終了とさせていただきます。

といっても、今年はロクにブログを更新しなかった気がするので

来年は若干増やして行きたいところです。

(twitterとメディアマーカーがあれば

書きたいことのすべては尽きるので、ブログで何をするか問題ですが)


来年はいよいよ30代に突入する年となるので

次の10年を生き抜く体力づくりをし

次の10年を楽しむための小説75冊、映画・演劇で劇場に20回を目標に

のんびりと生きていく所存です。


昨日ツイッターで

「ゼロ年代を生き抜いた事自体が成功体験」

とつぶやいている方がいましたが、そうだよなと真剣に思います。

次の10年が明るい年でありますように。

次の10年が面白い年でありますように。

次の10年皆様が幸せでありますように。

ではまた来年お会いしましょう!
posted by 広域 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

師でなくても死に向かって走るのだ。

この前誕生日だったと思ったらもうクリスマスにならんとしておる。

ご無沙汰しております。このブログの管理人です。

師走とはよく言ったもので

なかなかバタバタした12月を堪能しました。

客観的には時間があっただけに

ひとえに私の不徳のいたすところ=テンパリすぎだお前であります。

あとはtwitterにつぶやいてたら、まとまった文章が書けなくて。

さりとてこのまま年を越していたら

死亡説のひとつも流されても文句は言えないので

ここらで生存報告を。


その間、うちのクラブが非常に危険な状態になっておりまして

もはや関東サポにできることは祈ることくらい。

というか、勝利条件が高すぎる。敗北条件が明確すぎる。

敗北条件:24日までに「キャッシュで」2億円・・・

頼む、がんばれみんな。俺は祈る。


新城カズマ『15×24』をたらたらと読んでいます。

現状出ているのは4巻までで、たぶん今日この後読み終わります。

その後は、話題、だけどちょっと距離はとっておきたい

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』に取り掛かりたいのですが

その前に廣瀬純『シネキャピタル』を読み終わって帰省したいところ。

今日仕事場から持ち出したんだけど

気合い入れたら3日で読める?教えて偉い人。


ストレッチを始めました。

背中の張りを修正し、30代を力強く生き抜くための基礎体力づくり

・・・の基礎作りです。

なんといっても、再上京してから運動らしい運動をしておらず

ただでさえ弱い体が、アラサー効果でさらに弱くなっており

このまま30代を迎えたら、過労死は必至。

というわけで、この冬に基礎体力作りができるところまで持っていく

というのが当面の目標です。


ことほどさように、もはや140文字でしか日常が綴れないのです。

年末も年末、もうすぐ2000年代も終了。

残務を整理したら、帰省して読みたい本を読み倒すのだ。
posted by 広域 at 21:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月04日

29といえば、やっぱり肉。

日付変わりまして、昨日29歳になりました。

ありがとうございます、ありがとうございます。

例年であれば、昨日ブログを更新して

「29は○○の背番号」とかやるんですが

29ってのが思いつかなかったですし、いわゆるネタ切れ。

あと、昨日は親知らずを抜いた跡地から再出血しまして

午前いっぱい血が止まらず、意識がもうろうとしていた

という事情もあります。

で、本日改めまして、ご報告と相成りました。

29歳ということで、「20代最後、楽しんで!」と言われますが

もはや気分はすでに30代に向いております。

今年は「20代最後」ではなく「プレ30代」と位置付け

元気に次の10年(ちょうど10年代ですね)を生きるための

準備の一年にしようと思ってます。この発想がすでに・・・

というわけで、本年もよろしくお願いいたします。


ちなみに、タイトルですが

昨日無意識に松屋で牛めし食べて、今日は今日ですき屋で牛丼食べた

って意味じゃないんだからね!
posted by 広域 at 22:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

うえのはそのに。

歯医者通いもいよいよ終盤戦。

虫歯の処置は終わったので

今日は最後に残った左上の親知らずを抜いてきた。

今回もあっさりと抜けた。

前回の反省をふまえて、唾液を飲み込む際に注意したら

血もあっさり止まった。

若干熱っぽいのは仕様。
posted by 広域 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

J1 2009 第33節 ジェフ千葉戦。

千葉 0 - 2 大分







勝ったどぉぉぉぉぉぉ!!!

千葉にやっと勝った!

そして、今年やっとアウェイ勝利を見れた!横浜行かなかったから!

そりゃ泣きますよね。泣きますよ。

そりゃ飲みますよね。飲みますよ。


それにしても、今日の質のサッカーが出来るチームが降格するんだから

「流れ」は本当に怖いなぁ・・・
posted by 広域 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

Fwd: CT。

先日撮ったCTの結果が出た。

結論から言うと、「映像上はまったく問題がない」とのこと。

ひとまずほっとした、というところであるがここで新たな問題が。

そう。

「映像上はまったく問題がない」にもかかわらず

「症状は出ている」のである。

すなわち、「原因不明」。

さすがに、わが主治医も一瞬考え込んでしまったようで・・・

しかし、個人的にはここまで手を尽くして症状が残ったのであれば

それはもはや「体質」ではないかと思う次第であって

これは完治とかそういう話ではないのであろうなという境地に達した。

昔から鼻が弱かったのは弱かったわけで

今後悪化したときだけ、処置を受けるような形で

やっていこうかと思うのだ。

さりとて、間もなくスギ花粉症のシーズン。

このシーズン中は引き続き受診して

それが終わり次第、患者側から治療を終了させてもらおうと決めた。

そんな、CT話完結編。
posted by 広域 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

Re: CT。

無駄を削減するという目的は妥当だと思うのだが

いきなり連れてこられて「お前のやってることは無駄だ」

と宣告されたら、言われた方は気分悪いわな、という13日の金曜日。

西新宿にてCTスキャンを撮ってきた。

高層ビル群の中にひっそりとたたずむクリニックにて

簡単な問診のあと、着替えもせずに頭部のCT撮影。

部屋に入ると、巨大なドーナツ状の物体と近未来的なベッド。

思わず写真を撮りそうになるが、医療機器の極致みたいな物体なので

さすがに自粛する。

ベッドに横になり、頭部をバンドで固定され、撮影スタート。

「いいよ、かわいいよ、もっとセクシーに」などではなく

「ウゴカナイデクダサイ」と「ラクニシテクダサイ」の繰り返し。

何往復かして終了。意外とあっさり終わる。

なんかクリニックに入ったときには派手な音がしていたが

あれはどうやらMRIだったようだ。

それでも、CTなどというものにはできるだけかかわりたくないものだ。

あ、そういえばもうすぐ健康診断ではないか・・・
posted by 広域 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

ついーとしませんか。

最近時間さえあれば携帯からtwitterを見ている始末で

なんのことはない、体よく時流に流されてはまっている。

twitterに書くことが増えたので

ブログの方にもツイートをブログパーツで流そうかとも思ったが

ブログはブログ、twitterはtwitterで別の「分人」という気もするので

しばらくは現状維持で行くことにする。
posted by 広域 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

【告知】画像認証導入しました。

このブログはトラックバックについては承認制にしていますが

最近のスパムコメントの氾濫については手を打っていませんでした。

さすがにいらいらしていたので、何か手はないかと思ったところ

画像認証があったので、画像認証を入れることにしました。

皆様にはご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
posted by 広域 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

Computed Tomography。

突然だが、今度CTスキャンを撮ることになった。







別についに内蔵がやられたとか、脳が危険とかいう話ではなく

もっと穏当な部位で、検査部位は「鼻」である。



もう三年ほど耳鼻科通いをしている。

昔から鼻の強い方ではなく、幼少期から通っていたのだが

三年くらい前から「のどに痰が絡まる」ような症状が現れた。

通い続けて行ってものどの調子はよくならず

しょうがないので放っておいたり

花粉症の薬をもらうついでに消毒されたりしていたが

ある年に、どうやらこれはのどではなく鼻であると気づいた。

で、診察を受けてみると

鼻水がのどに流れ込んでいるのが原因らしい。

抗生物質やら痰切りやらを飲みながらもやはり症状は改善しないので

引っ越しを機に以前住んでいたところの耳鼻科をやめ

職場近くの耳鼻科に切り替えた。

そこでも治療はほぼ同じだったのだが、処置というか

鼻水を吸い出す際のあの器具突っ込みがちょっと違い

だいぶ改善したのが半年くらい前。

しかし、そこから症状は一進一退。

なかなか治らない上に、毎回診察と処方で3500円。

これはちょっとお財布に優しくないので、主治医に

「これは完治するものなのか、完治するとしてどのくらいかかるのか」

と聞いてみた。

すると、「完治する人と、体質的にそれが残る人がいる。

多くの場合、原因は副鼻腔炎だが

それを確定するためにはCTを撮るのが一番早い」と言われた。

たしかに、CTもかなりいいお値段するのだが

このままいつ治るともしれない治療に毎回3500円払うよりは

原因とその形状をはっきりさせて

一気に処置した方がよろしかろうと思い、CTを予約した。

病状が悪くても大したことなくても検査というのは嫌であり

若干の不安はあるが、近々CTスキャンされてくる予定である。

筒に入れられ、輪切りにされる俺・・・どうよ。
posted by 広域 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

うっかり俺。

祝日だというのに、うっかりいつもの時間に起きてしまう。

いや、目覚ましが鳴る前に目が覚めていたから

うっかりいつもより早い時間に起きてしまったことになる。

二度寝を決め込もうとしたが、昨日飲んだ薬の影響か

目覚めが良すぎて眠気は来ない。

カーテンを開けると、昨日の空とは異なる快晴。

ならばと、洗濯に着手した。

最近半袖を着ないので、洗い物はまだ大丈夫かと思っていたら

ハンガーが足りなくなるほどの量だった。晴れてよかった。

洗濯機にがんばってもらっている間に

水回りの掃除と、たまっていたペットボトルを処理。

洗濯物を干した時点で、すでに今日の予定はなくなっている。

普段の休日であれば、昼過ぎまで寝て、地元の店を冷やかし

帰ってきたらすでに夜で、あぁ何もしなかったと床に就くのだが

はて、このような場合、どうすればいいのかわからず

twitterとtumblrをまわる。それでも時間はつぶれない。



よし、と思い、丸の内へ。

あまり行かないのだが、今日は気分転換である。

まずはオアゾの丸善にて『iPhone情報整理術』を購入。

これが地元ではまだ手に入らず(発売直後はTSUTAYAにあったが)

ようやくゲットである。あとで読む。

その足で新丸ビルのBEAMSへ行くが、手持ちがなく敗走。

せっかくこちら側に出てきたので、秋葉原へ移動したが

こちらはこちらでかなりの人手で驚く。みんな行くとこないのか。

中央通りの電子辞書屋に行ったあとでヨドバシカメラへ。

テレビ売り場で、ナビスコの決勝を見てしまう。

しまった、うっかり予約を忘れてきた。

仕方ないので、twitter経由で速報を仕入れる。



ヨドバシAkibaの携帯売場は相変わらずでかい。

イーモバイルからPocket Wi-fiなる新商品が出るとのことで

しばらく凝視する。

率直にいって、今のdocomo端末に60000円の価値はないので

docomoを通話専用端末にして、パケホーダイを解約し

iPhoneかPocket Wi-fiを導入しようかとまじめに考える。

いずれにしても、現実的な案ではないが・・・



帰り道、うっかりラーメン屋に寄ってしまう。意思が弱い。
posted by 広域 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

900本目のエントリにて微修正を行う男。

まいど当ブログをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

皆様の支えをいただいて、これにて900本目のエントリとなりました。

一時期、「ブログは情報発信ツール」という観念にとらわれて

執筆スピードが落ちた時期もありましたが

無事に節目を迎えることができました。

今後も日記ともつぶやきとも評論ともつかないものを

書きちらしていく所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、900本書いてきたわけですが

これを承けてブログを微修正しました。


ご存知の通り、このブログはLittle-RGB the・さーど!でありまして

ここに至るまで2つのブログサービスを転々としておりました。

で、三代目としての「さーど!」だったわけですが

900本も書いていたらこちらが主戦場ですし

なんとなく座りも悪い感じがするので

これを機に、タイトルを「Little-RGB!」に変更することにしました。

といっても、何か変わる訳ではなく

むしろ、ブックマークが変わるくらいですから

これまで通りの駄文を書くに過ぎないのですが

なんとなく気になっていたのでご海容いただければと思います。


重ねて、お願いいたします。

あ、広域(little_RGB) on twitterもよろしくお願いします。
posted by 広域 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ついったーはじめました。

twitterを始めた。

というか、正確にはtwitterを再開した。

だいぶ前に、バクシーシ板橋君と二人でなんとなく始めたのだが

当時はユーザーも少なく、誰をフォローしたものかわからなかったので

そのときはアカウントごと削除したのであった。

なにせ、隣のデスクで働いている板橋君と

@で話し合っているのだから、端から見れば滑稽な光景だったに違いない。

さりとて、昨今のtwitterブームを見るに

ちょっともう一回やってみるかと思い始めた次第である。

特にコミュニケーションに飢えているわけでもないので

なんとなくつぶやいてみるという最近の流行を

あれこれ言う前に体験してみるというのが半分。

あとはアルファブロガーの皆様のつぶやきを見てみたいという

ミーハー精神が半分か。

お暇な方はRSSなりなんなりで広域のつぶやきを見ていただいて

twitterやってる方は教えていただければフォローさせていただきます。

続かない確率もかなり高めですが・・・

広域(little_rgb) on twitter
http://twitter.com/little_rgb
posted by 広域 at 23:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

噛める幸せ(20代独身男性の場合)。

よくお年を召した方から

「歯が弱くなって噛めないから、食べてもおいしくない」

的な話を伺うところであるが

ついぞ本日昼間までそのような状態にあった28歳男性の話。

先日来ご案内の通り、歯医者通いを続けているのだが

先週、大学時代につめた銀歯を取った。

「合ってない」という恐るべき理由によるものであって

おいおい、それは歯が成長したということか

はたまた前の医者がトンデモだったのかと問わざるを得ないが

ここは前者と信じておくのが人の道である。

というわけで、銀歯を取って仮蓋を付けていたのだが

これが微妙に高さが合わず、仮蓋の方が若干高い。

したがって、通常の歯のみの方に若干隙間ができる。

仮蓋の方ではできるだけ噛むな、という指示であったので

歯の方で噛むしかない。

これがうまく噛めない。

噛み締めることができないので、何を食っても

「ふんよふんよ」と撫で擦るように「噛む」しかなく

もはや噛むというより「ほぐす」に近い。

これがまた飯がうまくないのなんの。

食い物の味は、それを歯で押しつぶし、噛み締め

栄養分を絞り出した先にあるという事実を感じるより先に

飯と酒を楽しみに生きている人間として

日々の俺の食生活はどうなるんだと膝から崩れ落ちた。

それ自体が一つのストレスであったのかもしれないがそれはまた別の話。

さて、本日、晴れて新たな銀歯が装着された。

銀歯をつめる際に、薬を塗ったり風で乾かしたりするのが

意外と激痛で、歯医者が嫌いではない私も若干心が折れたのだが

装着した銀歯は快適で

なにより再びがっちり噛める喜びを噛み締めている。

さっそく飯を食うとうまい。

米の味、肉の味、茄子の味(さぁ何を食ったか当ててみよう)

飯とはこんなにうまかったのかと喜びにうち震える。

8020運動は単なる厚生労働省の無駄遣いだと思っていたが

あながち正しい施策なのかもしれない。
posted by 広域 at 20:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

生存報告はたまには必要。

今帰宅して自宅のメーラーを立ち上げたら、ある方から

「生きてるか?」という趣旨のメールが来ていた。

いやいやそんな、そんなに生存サインだしてなかったかと思ったら

このブログは更新していないし

たしかに物理的にもしばらくお会いしておらず

あぁそりゃ心配もされるわな、と納得した次第である。

生きてます。

生きてますが、若干社会的には死んでいたというか

まぁ生きているとも死んでいるともつかぬというか

廃人のごとく、日々を漫然と生きていた感じではある。

小説も読まない、テレビも見ない、たまにmixiの牧場の手入れ。

酒も飲まず、一回だけ友人と派手に遊んだ後は再び二日ほど廃人となり

ようやっと昨日、社会復帰をしたというのが現時点。

本当に人間堕ちるところまで堕ちられるんだなと実感し

その分、復帰してからは若干の精神的不安定さを抱えつつも

体と頭のキレはかなりよい状態に突入しており

あぁやはり俺は一旦スイッチを完全にオフにしないとだめなのだと

再確認した、という内容の生存報告。
posted by 広域 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 書きちらすこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。