2011年03月08日

[M_2011_04]『劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜』

とにかく、TV版のマクロスFが好きな奴は、四の五の言わずに、とりあえず劇場行け。話はそれからだ。
というわけで、劇場版の後半戦であるが、正直、前半戦『イツワリノウタヒメ』の出来が今ひとつだったので、期待値はあまり高くない状態で劇場へ向かうも、開始5分で白旗である。俺が悪かった。
かつて、長島☆自演乙☆雄一郎のK-1デビュー戦の海外中継では、マクロスFのことを「Japanese Highschool Musical」と評していたが、『サヨナラノツバサ』はまさにマクロス楽曲全部入りのミュージカルであり、これは絶対に劇場で聞かないと一生後悔する。
確かに後述するように、賛否両論の否の部分はこのへんにあるだろうな、というのはあるけれども

「キラッ☆」に心を奪われた連中は、絶対に魂が震える。

もう理屈じゃないんだ。
ランカが超かっこいいんだ。
シェリルが超いい女なんだ。
菅野よう子の楽曲が響くんだ。
だから絶対見なきゃダメ。話はそれから。


*『劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜』公式*
http://www.macrossf.com/movie2/


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2011年02月20日

[M_2011_03]『ソーシャル・ネットワーク』

世界で一番add a friendされているはずの男の孤独を、facebookの成長とともに描き出したとかなんとかいうまでもなくアカデミー賞で『英国王のスピーチ』に負けてしまったが充分評価された名作。
内容それ自体についてはもはやいうこともないでしょう。シリコンバレー怖いな、とか、ハーバード楽しそうだなとか、スピード感のある詩的なセリフは実際のハーバード生喋ってないんでしょ?Lessigが言ってたよ、とかそのくらいの感想はさておき。

その後、友人Rのツイートを見て、オーソン・ウェルズ『市民ケーン』を見る。驚く。構造が『ソーシャル・ネットワーク』と同じ。
『市民ケーン』の主人公ケーンは当時の大メディアたる新聞王。ケーンは順調に政財界の中で地盤を固めていくが、妻との関係で常に失敗する。戦友ともいえる友人から裏切られ、最終的には例の「ザナドゥ」で「バラのつぼみ」を残して死んでいく。
『市民ケーン』における新聞というメディアを、facebookというソーシャルメディアに置き換え行われた、戦前と戦後における企業トップの孤独の比較。そして、人間性の変化の照射。『ソーシャル・ネットワーク』の狙いはここにあったのか!

そうすると、『ソーシャル・ネットワーク』において必ずしも必要でないはずの、ザッカーバーグの元カノが冒頭とエンディングを飾るのも頷ける。多分、映画の中の「ザッカーバーグ」はこの後、女性関係で失敗して、ザナドゥでバラのつぼみを残して死ぬんだろう。
何も変わっちゃいないんだ。
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2011年02月01日

[M_2011_02]『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』

先に行っておくと、僕は『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の原作本が大好きです。
嘘だけど。

マジで嫌いなんですよ、あのやりとりとセリフ回しが。
昔、メディアマーカーに書いた書評(http://mediamarker.net/u/kouiki/?asin=4840238790)を読み返して、「あぁ、敵を作らないように最大限配慮してるな、俺」と思うくらいですもの。

しかし、映像化されるにあたって、これの壊れた作品がどうなるかが非常に楽しみだったので、ランチに寿司を食って映画館へ。

やはりあのセリフ回しと、うそくさいCG演出でココロが折れた。しかし。
それはみーくんとまーちゃんのやりとりの場面だけの話。すなわち、原作に大部分依存せざるをえない場面である。
それ以外の、二人の会話がない場面は、大変に素晴らしいのである(例えば、冒頭、みーくんがまーちゃんを尾行するシークエンスや、二人が壊れる前のシーン、鈴木京香と田畑智子が裏で動くシーンなど)。
そうなってくると、あの嘘くささを中和せずそのままにしたのは、意図的にやったのではないか、という気がしてくる。

タイトル通り、二人の世界はぶっ壊れているので、まさにその世界は嘘。
それが、みーくんの一人称で進む原作では、壊れた世界を生きるみーくんの文脈/コードを介して記述されていたため、虚偽性が隠蔽され、嘘くささが単なる気持ち悪いセリフ回しにしかならなかった。
しかし、映像化するということは、みーくんの一人称から、カメラという第三者の視点に切り替えることを余儀なくされる。すなわち、現世のコードに従って撮られる/見られることが前提である。
そうすると、二人の世界は「嘘なのである、壊れたコードで動いているのである」ということを示すために、嘘くさいCG演出や、いかにも下手くそな染谷将太のセリフ回しを温存し、その異常さを、他の世界(原作=一人称の外)との対比の中で示すことが必要であったのではないかと。
そうすることで、実は原作との差異化が図られている。みーくんが「嘘だけど」というのは、先行する記述の信頼度を相対化し、世界の真実を撹乱する機能を果たしていた(先行する戯言シリーズの「戯言だけどね」も同様)。
しかし、瀬田監督のアプローチが上述のものだとすれば、意味はまったく変わってくる。「嘘だけど」というみーくんそれ自体が、現世とは違う壊れた世界に今なおあることが演出上明らかなのであるから、「嘘だけど」そのものが「嘘の世界」に存在することになる。
すなわち、「先行する記述」も、「嘘だけど」も、ともに嘘の世界の出来事であり、現世の真実(カメラに映る物)の真実性はそれによっては揺らがないのだという宣言であり、サブカル周りで一時期流行った真実書き換えもの(その最極北に舞城の『ディスコ探偵水曜日』がある。あれはあれで限界突破だが)へのアンチテーゼであり、「原作を映画化して原作を殺す」作品である。
そしてなにより、原作が隠蔽していたこの作品の無意味さを暴露しているのである。

なるほど、ここまでほぼ自動筆記で書いてきたが、そんな見方もあるかな、くらいには納得した。
*嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん公式*
http://www.usodakedo.net/
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2011年01月20日

[M_2011_01]『アンストッパブル』

暴走列車をいかに止めるか、というモチーフはそれこそ死ぬほどやられてきたはずで、本作も実在の事件にインスパイアされているとはいえ、その枠の中にとどまっていることは事実である。
また、いくつものシーンが、映像だけでそのシーンの意味を伝えることに成功はしているが、それは僕ごとき映画素人にも伝わるほどの偉大なるテンプレートだということであり、本作を「普通の映画」と見る向きの方がいることも当然だと思う。
しかし、本作は圧倒的に熱い。
そりゃ、一から十までわかりやすいキャラ造形と、白人の若者/黒人のオッサンの価値観が摺り合うとか、アメリカではマイナーな列車という交通機関の悲哀とか、普通の映画なのだし、主役二人もものすごい演技かと言われると、そこまでは思わないが、列車の圧倒的重量と、二人の演技に身を乗り出して、手を強く握って、軽く汗をかいて見てしまったのは、理屈じゃなくて、巨大な物体が動いてて、気合で止める、みたいな流れが単純に熱いのである。
新年早々、面白いものを見たと思っている、個人的には。
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2010年12月01日

[M_2010_16]『特攻野郎Aチーム』。

TV版を実は見たことがない自分が、映画版をどれほど楽しめるかという問いが全ての劇場版に付いて回るのだけれど、『Aチーム』はさすがにそのハードルが高かった。
そりゃ、有名すぎるほど有名なネタ(「飛行機だけは勘弁な」とか)は知っているものの、おそらくはTV版を知っていた方がここは面白いんだろうな、というポイント(おおむね、ストーリーの流れが一回止まる場面)が多く、そこを拾いきれないのはひとえにこちらの不勉強。
そこを抜きにすると、大規模アクション映画としてかなり面白い部類であるように思えるけれども、あまり絶賛できないのは、その辺のプラスアルファを感じられないことにも一因があるような気がする。
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[M_2010_15]『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』。

今年一番笑った一作は、ロードショーで見逃して、『ローラーガールズ・ダイアリー』に引き続き早稲田松竹のお世話になる。
ちなみに『特攻野郎Aチーム』との二本立てで、どう考えても頭の悪い一日であったことは疑いない。
独身パーティーでラスベガスに行った4人組が、記憶をすっ飛ばして目覚めた朝、室内に虎がいるとかその手のバカエピソード満載で作られた、ひたすらにバカを追求しつつも、いなくなった花婿を必至に探していく様は、もしかしたら『スタンド・バイ・ミー』に強烈なリスペクトを放っているのかこれは、とか思ってしまう(いや、絶対違うが)。
そんな難しい話はなしにして、ひたすら笑うだけのサプリメントムービーとしても最上質、カメオも含めた役者陣も超豪華、そして少しいい話。あえての絶賛でシメ。
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2010年11月07日

[M_2010_14]『ナイト&デイ』。

平日昼間、時間が作れたので近所のシネコンで『ナイト&デイ』。
しかし、いくら平日昼間だからといって、客が3人ってのは大丈夫か、というか予告編まで俺ひとりだったんだけれど、この地域は大丈夫か。

しかし、とにかくトム・クルーズとキャメロン・ディアスをかっこよく、かわいく、エロく撮るための構成であって、@dis555 に言わせると素晴らしいご都合主義であって、目的が二人を上述のように撮ることが主眼なのだから、徹底的にご都合主義でなければならないという割り切りが大好きである。
あれだよ、もちろん弾丸が当たらないとかってのは、ハリウッドスターのオーラで弾丸が勝手に避けてるのよ。
それにつけても、キャメロン・ディアスがかわいい。いやかわいい。

真面目な話。
タイトルである"Knight & Day"が秀逸すぎる。
もちろんこれは"Night and Day"のもじりであるが、その意味は「寝ても覚めても」である。
本編を貫くもう一つのご都合主義が「気がついたら〇〇にいた」的な空間ワープ(移動シーンに時間を使わない、乗り物映している暇があったら二人を映したい)が眠りのモチーフによって演出されているが、それが下手な映画でやると突っ込みどころなのだけれど、タイトルの力と、上述した明確な狙いが相まって、とても面白いものに仕上がっている。
また、この言い回し、慣用的には"Day and Night"も使われるところである。
つまり、どちらが入れ替わっても構わない、ということであり、これが最後に効いてくる。それも"Knight and Day"として。

かつて私は、金がかかってなくても想像力と技術で他を圧倒する作品を偏愛していた。
しかし今年に入り、金がかけられるものは、やっぱりすごいということを思い知り続けている。
本作もその一つで、ド派手な銃撃戦やら豪華キャストの持つ映像的パワーというのは、有無を言わせない魅力だよな、と再確認した次第。
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2010年10月28日

[M_2010_13]『ローラーガールズ・ダイアリー』。

頑張らないという生き方がある。
その生き方に一定の共感を禁じ得無いが、同時に一つの目標に向かって突き進んでいる人の神々しさというか、力強さに強いあこがれを持つのも事実である。

映画は映像が動いていることがすごいということにこの歳になって気づく。
映り込んでしまうもの、すげぇの撮れちゃったという感覚がやっとわかってきた。

早稲田松竹という名画座で、やっと見ることができた『ローラーガールズ・ダイアリー』はその二つを同時に思い出させてくれたわけで、やはり疲れていても映画は見るべきだと強く思う。

エレン・ペイジの表情を見ているだけで大満足であり、頑張っている女の子というのはそれだけで尊い。
そういえば、私の持論として、全力疾走の女の子はかわいい、というのがあるのだが、それも同根だろう。
ローラーゲームに出会ったあとのエレン・ペイジは、地味なメイクと衣装ではあるが、とても輝いている。
そして、一度その顔から輝きが消えたあとで、再度戻ってくる輝きの美しさには、いい大人ながら泣かざるを得なかった。
子供であることでぶつかる壁から救いだしてくれる「先輩」たちの存在の尊さと相まって、雨の高田馬場で泣くという良い体験をすることが出来た。良作。
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2010年08月20日

[M_2010_12]『借りぐらしのアリエッティ』。

私は表現能力のある人を基本的に尊重しているので、あまり上映まで至った作品に対して不満を持つことがない。
それぞれそれなりに考えて作っているのだろうから、それをひたすらにけなすのではなく、なんとか自分の中で「良い体験」に変換できるよう、一生懸命に解釈するようにしている。

さて、『アリエッティ』であるが、完全に私の許容範囲を超えていた。
実は前半はかなり楽しんでいた。背景を水彩色でぼやっと描いていた意味が、アリエッティが翔に認識されるまで環境・背景であることを描くための手法だったし、アリエッティと父親が借りに行くシークエンスは、小人ものの定番ながら面白い冒険物語であった。
しかし、それだけである。
後半はひたすらに翔の愚かさ(正確には、何も考えていない、あるいは内容がない)に怒り狂っていた。
愚かな人間に怒り、アリエッティに共感したという話ではない。
翔が採る行動も発言も理解できないというか、そこまで馬鹿な行動は映像作品でもやらないだろうという一点に尽きる。
で、その馬鹿な行動を正当化するロジックもいくつか考えてみたものの、その中で最有力のロジックすら、ラストシーンがああなっているがために採用できない。

とはいえ、これは原作ものであり、そういう人物として人間の少年が描かれているなら、ジブリ側に罪はないというか、原作の馬鹿さ加減を強調するために敢えてこの表現だというのなら、自らの不明を恥じるけれども、絶対にそうではないという自信がある。

さりとて、本作品が優れているのは、俳優陣が皆素晴らしい演技をしていたことだ。それだけが救いであるが、それだけにアリエッティと志田未来と神木隆之介がかわいそうだ。
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2010年07月23日

[M_2010_11]『私の優しくない先輩』。

マンガとアニメのキャラクターでは、いくつか描けないことがあると言われている。
例えば死。例えば性。
と、この書き出しを使うと、大抵、手塚治虫の作品論につながるのだが、もう一つ描けないものがある。
それが匂い/臭い。

マンガ/アニメ/映画では、視覚聴覚は描ける。触覚と味覚は描けない。
しかし、アニメで描けず、映画で描けるのが臭いである。
嘘だと思うなら、アニメ作品ごとにその臭気を列挙してみるべし。

さて、『私の優しくない先輩』は、ひとえに、川島海荷が汗と涙に物理的な意味でまみれ、その臭いを表現するための作品である。

と、大層な書き出しで初めてみたが、この作品ですごいところは、川島海荷という水の象徴のような名前の女優を、汗と涙でドロドロに汚し、臭わせ、なおかつそれを綺麗だと思わせた点だ。そして、その一点に尽きる。
アニメーション監督である山本寛が実写を撮らなければならなかった理由はそれしか考えられない。ぐっしゃぐしゃのヒロインが、夏のドロッとした汗にまみれて臭気を発し、なおかつ美しいという一点。
そして、その一点において、この作品は成功している。顔をぐしゃぐしゃにした川島海荷の美しさは凄まじくて泣ける。

その美しさを見た後で、ラストショットに登場する普通の「川島海荷」は、一層衝撃的。
はっきりいって普通の取り方、普通の川島海荷のはずが、一瞬で鳥肌に転じた。あれはなんだったんだろう、いまなおよくわからない。

とりあえずたくさんの人に見てもらいたい。7割くらいの人には、広域は変態だと思っていただけて、残りの方のうち半分くらいには共感していただけるだろうて。

ちなみに、エンディングのMK5も相当すごい。あそこだけiPadに入れて持ち歩きたいくらい。

*私の優しくない先輩公式サイト*
http://www.senpai.info/
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2010年06月20日

[M_2010_10]『告白』。

『下妻物語』も『嫌われ松子の一生』も見ていないのだが、湊かなえ『告白』を読んでそれなりに楽しめた者にとって、予告編における生徒たちのダンスシーンがいかにも違和感アリアリで、それがゆえに劇場に足を運ばざるをえなかった時点で、すでに中島哲也の術中にはまっていた。
そのシーンについて述べると、それ自体が「クラスにおける違和感」を表現するためのものであって、そこだけ切り取って予告編とすることで、「湊かなえ原作にはなかったシーンが挿入されている」かのように錯覚させられていたが、あのシーンは完全にあの文脈においては必要なシーンだった。
その上で、生徒たちの醜悪な空気(表情ではない、そこまでの演技はまだ出来ていない)を冷静にカメラに収め、『告白』前半の嫌な空気を、ともすれば原作の数倍もよく表現していたように思う。

告白とはconfessionであり、神の前でペルソナを外して何もかもをぶちまけることであるが、後半、ペルソナを外して、その執着を顕にする登場人物たちは、一瞬ホラー映画かと見まごうほど、残忍な人間として立ち現れていた。演技が云々に回収出来ないすごさがあった。

小説と映画の対比に意味はないのであるが、告白内容に重点のあった小説版から、告白が持つ仮面剥奪=表情に重点を移した映画版へ、明らかな「発展」であったと思う。
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2010年06月12日

[M_2010_09]『アウトレイジ』。

意味はない。ただムチャクチャ面白い。

という前評判を耳にした。

たまたま時間が取れたのが公開初日だったというだけで

特に公開初日でなければならない理由はなかったのだが

気がついたらチケットを抑えていた。


端的にいって、ひたすら人が血まみれで倒れていく映画であって

悪いヤツラが暴力振るいまくってるのって

現実だと迷惑だけど、映画だと面白いよね、というお話である。

とにかくテンポと映像で魅せまくるので、まったく飽きない。

また、血まみれなのだが、そこですら笑いを取ってしまうあたりに

北野武の底力を見る。
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2010年05月29日

[M_2010_08]『アリス・イン・ワンダーランド』

そりゃあ川崎で見た方がいいのは知ってますが

ちょうど有楽町線の某所で朝から用事があって

その後行くなら有楽町が楽だよね

というわけで、有楽町にて3D鑑賞。

とはいえ、前日の睡眠時間の短さと

映画館の暗さと、3Dメガネ独特のフィルター感により

終始眠気との戦いとなったのは否定できない。

映像もよく、結末が導出される理路は少し考えなきゃいけないので

楽しめたことは楽しめたのだが

ティム・バートンに本当に申し訳ないことをした。
posted by 広域 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | カンショウすること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

[M_2010_07]『第9地区』。

南アフリカにエイリアン(エビ)の母船が漂着

政府はこれに居住区=District 9を与えるが

地域住民の怒りはエイリアンに向けられる。

エビたちを新たな居住区に移住させるための手続を担当する主人公は

あるエビの開発した「黒い液体」を浴びて「感染」してしまう。


カメラワークの観点からは、ハンディカメラで撮影された体の日常と

射手の視点から撮られたゲーム的部分とが混じり合い

そこはそれで@kimkesoが論じるんだろうが

絡みあわない日常と戦争が撮影方法として表現。


主題的には、「白人の自己嫌悪は行くとこまで行ったな」というところで

地球外生命体に対する共感の方が大きいってどうよ、である。

アパルトヘイトの被害者であった黒人ですら

エビに対しては本当にcruelな表情を浮かべられるのだ。


鑑賞直後は、肉片飛び散るB級かとも思っていたが

それすらも同行者との議論で認識を改めざるをえないのであるから

映画もたまには複数人で行くべきなのだ。
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2010年04月18日

miimiワンマンLIVE『燭』@O-nest。

現メンバーではおそらく最後になるmiimiのワンマンライブ。

見届けるために、久しぶりの渋谷へ。

知った顔も何人か。

そのかすがいになってくれたのがドラムのKenさんたちだったりする。

人のご縁の不思議を感じる。

ライブ。

轟音。しかし、全体的に明るい曲調に感じられ

暗く終わらない、これからもあるかもよ、と感じさせる。

音圧。文字通り、音に押される。

音が静まったときにふーっと力が抜ける。

ワンマンライブで時間はたっぷり。新曲込みの全部盛り。


思い返せば、miimiのライブを初めて見に行ったのは

私が一番やばい状態にあったときで

そのときに、気分を切り替えるフィールドのひとつとして

miimiがあったんだよな、と。

妙な感慨を覚えつつ、スープカレーを食って帰った。
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2010年02月27日

[M_2010_06]『涼宮ハルヒの消失』。

162分っておい、というくらいの超大作であって

上質のパラレルワールドものであり、上質の日本映画である。


もうあとは見た人が好きなように分析してくれといった感じだが

いくつか思ったことを。

・本質は、「長門に頼りたいか/長門に頼られたいか」の違い。
・パラレル長門は非モテの幻想の具現化であるが、そこに止まれずに結局荒唐無稽な二次元ラノベ的世界にリアリティを感じてしまう認識力。
・間の取り方がすごい。無音で突き進む前半だが、それでも見てて飽きないのは、アニメでありながら、微妙な動きとブレスで演技を重ねつつ、間にリアリティがあるから。
・監督が取りたかったのは「長門の袖」。それ以外は飾り。とも言い切れないところがあって、パラレルハルヒに笑顔が戻る瞬間の映像は鳥肌もの。


そして、個人的には、やっぱりこのシリーズが基本的に大好きで

それゆえに主演の5人がどんなに変なことをしても

笑顔で擁護し続けなければならないということが確認されました。

ちなみに、土曜17時半スタートで満員でした。
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2010年02月24日

[M_2010_05]『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』。

水曜日といえば、だいたいの映画館がレディースデーである。

それは、普段映画館に来ない女性を集めるための制度であり

当然、女性のお客様が多く映画館に来る。


2010年2月24日、シネリーブル池袋。

行定勲『パレード』が上映されるその映画館は

平日の昼間とはいえ、当然のごとく女性客が

『パレード』目当てに集まっていた。

そんな中。

「魔法少女リリカルなのは、大人一枚お願いします」

という一言を発するのに、どれだけの何物かを捨てなければならないか。

・・・

と、エッセイのごとく書き始めてみた訳ですが

まぁそりゃおそろしくきっつい体験でありまして

窓口が二つある中、隣は20代中盤くらいのお姉さんが『パレード』。

その横でこれはかなりの精神的ダメージでした。

少なくとも、水曜はやめておけばよかった。

しかし、そこははまってしまったものの弱さであり

はまった作品は徹底的に擁護してなんぼ。

面白かったのですから、その程度のダメージなど何のその。

徹底的に再構成された戦闘シーンと

新たに書き起こされたバックグラウンドが作品に深みを与え

作品に対する理解をより一層高めるのに寄与していることは

疑いの余地のないところです。

その分、家族愛や友情など、日常に属する部分の掘り下げが消えて

その評価を監督の個性の差とするか、本質が消えたと評するかは

まぁ好みの問題でしょう(私は、本質が消えたと思いますが)。


ちなみに、魔法少女とはいうものの

基本的に登場人物は男前の集まりでありまして

どう考えても中身は、超王道熱血少年マンガなので

偏見なしに見ればどっぷりはまります。
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2010年02月11日

[M_2010_04]『ゴールデンスランバー』。

伊坂幸太郎の最高傑作との触れ込みで

なおかつ、個人的にもその点には激しく同意する中

それゆえにこそ拭えない凡作の予感を一撃で吹き飛ばす傑作。

原作ファンから見た小説の映像化として点数を付けることは

映画作品である以上差し控えるとして

それを抜きにしても、一本の映画として非常に面白い。

首相暗殺の容疑をかけられた無実の男・青柳が

人とのつながりで逃げ続けていくストーリーなのだが

そのつながりを生み出す、青柳の人柄のよさを

堺雅人が完璧に表現する一方

青柳を追う警察官僚・佐々木を、香川照之が怪演。

なにかよくわからない(国家権力であるとも限らない)「敵」

その象徴としての香川照之の存在感が大きすぎ

「敵が見えないことの恐ろしさ」が消えかかるが

最後の最後、彼を相対化したのは監督の腕か。

いずれにしても、いい作品。同業者の方はぜひ。
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2010年02月01日

[M_2010_03]『Dr.パルナサスの鏡』。

1日映画の日だが、平日だから空いているはずだという読みの下

疲労と14時まで眠った朦朧感を伴って『Dr.パルナサスの鏡』。

個人的には好きな部類の映画。

「物語って必要ないって人たちもいるし

物語なしじゃ生きていけない人たちもいるし

まぁ仲良く共存しましょうや」といった感じ。

もちろん、注目されている幻想館(鏡の世界)の映像も

(安っちいけど)面白い。

あとはとにかくリリー・コールが可愛いのである。
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2010年01月18日

[M_2010_02]『イングロリアス・バスターズ』。

とうとう都内では恵比寿ガーデンシネマの夜一回のみという状況で

なんとか最終週に見ることができた『イングロリアス・バスターズ』。

さすがタランティーノ

などと語れるほどにタランティーノを見ていないが

単純にものすごくよくできていて、150分を感じさせない出来。

とりあえず銃撃っとけ!という信念と

タランティーノの映画愛が炸裂し

「映画適当に使ってると、映画に殺られるぞ!」という

非常にすばらしいメッセージつき(しかもアメリカ人向け)。

(あとこれはドイツで公開されたんだろうかと気になったら

しっかり公開されてて、批評もあった。あとで読もう。

http://www.filmstarts.de/kritiken/38587-Inglourious-Basterds.html

まぁとにかくクレイジーな作りでありながら

見終わったあとは気分爽快。いい作品である。
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